雑記8

気配の話

 

学生の設計で、特に集合住宅の時に顕著だと思うのだけど「他人の気配を感じられる暮らし」という謳い文句をよく見るように思う。

これは「近所付き合いがなくなった現代」へのカウンターパンチだったり、現状感じている言い得ぬ孤独感の解消だったりだろうと推察はできる。

 

ただ、その気配を感じることで生活がどう豊かになるのか、僕にはわからない。

壁の薄いアパートに住むこととどう違うのか、説明がないと。

 

(意訳:TAで後輩が自身の設計の説明をしているのを聴く側に回ると、ちゃんとプレゼンしないと意図がほぼほぼ伝わらないのだなということを痛感する)

 

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季節の話

 

日本に四季があるなんてウソになってきた。

子どもの頃より生きるスピードが上がったせいかもしれないけれど、夏と冬しかないように感じられて仕方ない。

 

春は春一番と一緒に逃げていくし、秋は知らない間に空高く消えている。

 

まあそもそも、四季が日本特有のものだとしたらspringとautumnはどういうことなんだ?という疑問は昔からあるのだけど(なんなら秋はfallまである)

 

僕は冬が一番好きだから、冬がなくなりさえしなければ良いかなと思っている。一年中冬は嫌だが。

冬は自分の輪郭がはっきりするから好きだ。これは昔読んだ小説に書いてあって、とてもしっくりきたから以来ずっと冬が好きな理由として使っている。

 

逆を言えば、夏は「溶けるような」なんて形容があるように気温が体温近くまで上がるし、日本じゃ多湿だから纏わりついて輪郭どころの騒ぎじゃない。冷たいビールを流し込んだ喉と胃の輪郭だけがはっきりする。冬の露天風呂で肩まで浸かれば、顔だけがピリつくのと同じだ。

 

となれば人々の暮らしぶりも変わるのが必然で、どこもエアコンをガンガン稼働させている。どんなビルでも入って仕舞えば夏は涼しいし、冬はあったかい。コーヒー代200円強さえ払えばついでに外よりは快適な気温がついてくる。

 

二川幸夫は日本の古典建築は外しかない、と言った。一応僕はそれを実地で体験している。かつての祖父母の家はそれは見事な伝統木造住宅でさすがにもう心配なのだが、去る地震の際も耐えてまだなんとか建っている。

 

幼少期にあの家で過ごした夏の日はとても心地よかった。縁側で花火を見て、酒を飲んで騒いでいる親戚に可愛がってもらった。断熱なんぞ知らん!というような建ち方で建物の中と外なんてものがほぼないようにさえ思えた。家の中にいるのに外にいるような心持ち、あんな「溶け方」なら好きだ。自分や、家族や、親戚や、はたまた家の境界でさえもが無限に広がっていくような錯覚、言い換えれば妙な無根拠の安心感に近い。

 

現状今の暮らしぶりもその時に近い。どんなに夏が暑かろうと、冬が寒かろうと、我が家のエアコン嫌いは相当なもので窓を2つ開け放ったり、逆に閉じ込んで毛布を抱いてしのぐだけだ。だから玄関を開けた時にあんまり驚かないのである。家の中と変わらない。日本のどこかにまだそんな天邪鬼な家も探せばまだあるだろう。

 

(※昔はよかったという話ではない。今の建物を出た時のドラマチックな気温の転換も楽しくて好きだ。「うおっ!寒!」とか「あっついなー!」と笑ってしまうのも醍醐味だと思う。そんな両極端な暮らしのどちらかを選べる贅沢さを僕たちはまだ持っていてもいいだろう、という話だ。)

 

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体の話

 

上で冷たいビールを飲むやら言っているが、ビールが流し込まれた喉や十二指腸や胃というものは体内なのだろうか。

 

口と肛門が繋がっている以上、人間は柔らかい筒でしかなく、口と肛門がボトルネックになっているだけで胃腸は体外なのかもしれない。というかたぶんそうだ。

 

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長年の疑問

 

「個性的でありたい」と声高に言う人たちが、なべて「どこかで見たことのある容姿や言動」に収まってしまうこと。

 

(※個性的ではいけないというのではなく、個性的とはなにか?ということです。)

 

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動きの話

 

歩くことは楽しい。歩いている最中、頭はほぼ上下には動かない。

 

渋谷のスクランブル交差点に立つ。赤信号で対岸を見ると多くの人が思い思いに号砲を待っている。青だ。外国人旅行客がはしゃぎながらGoPro片手に歩き出す。布団を持って交差点の真ん中で寝るやつもいる。TSUTAYAに行くやつも、PARCOに行くやつも、キタムラに行くやつもいる。

 

日本人の平均身長が男性で170cm、女性で158cmであるらしいからまあ164cmくらいだろうか。その高さは変わらない。目線と同じであるし。となると水平線はその高さになる。スクランブル交差点で大多数の人々がずらっと並んだ時、164cmくらいの高さで一直線に頭が並んでいる。

人の姿をシルエットにしてしまう眼鏡をかけると、人と人の隙間から垣間見える景色は刻一刻と絶え間なくそして予想外に変わっていく。

 

一度の横断人数は1000人を超えるらしい、そんな話をどこかで読んだ。

1000の変数がそれぞれの固有値(体型、服装)を持ちながら、それぞれの関数で動く(コンビニで買うものを思い出して途中で引き返す人もいるかもしれない)

 

そんなものが作り出す形や景色を何度も見られるんだから面白い。

 

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