雑記13

買い物、もしくはショッピングというものに対しての自分の感覚がズレていることに最近気づいた。

 

自分はネットショッピングというものをほぼ、というかもはやまったく使わないのだけれど、どうやらそれはいわゆる「普通」ではないらしい。

 

その理由というのは簡単で、欲しいと思ったものに対して「ただ待つ」という行為が苦手なだけだ。欲しいと思ったら、自分から迎えに行きたいし、持ち帰っている時間でさえ楽しいのが好きなのです。

 

せっかちと言えばそれまでなんだろうけど、実物を見てから決めたいし、迎えに行く時間、買う時間、家まで持ち帰る時間、という体験そのものが楽しいと思っている。仕事から帰ったら届いている、というのは便利だけど、不思議なもので損した気分になるのだ。(特に本はそうで、帰りの電車の中で読むのが一番楽しい。)

 

それは嗜好品についてでしょ、と言われることもあるが食品や生活物品に対してもそうだ、ネットで良くわからないなにかにおすすめされたものをただ買うより、スーパーに寄って、そこにある「最もいいもの」を目利きすることの方が楽しい。

 

本当に単純に言えば「生活の主導権を握りたい」ということに尽きると思う。

所帯じみていても、美しくなくても、「生活」という営み自体が尊い、と信じているので。

 

というか、人間なんてものは常に美しく、他人から見て羨ましい日常を送る必要なんてない。

醜くて、愚鈍で、他人に見せられないような生き方を表現できる場所がないなんて豊かじゃないと思う。

 

最近オンライン会議アプリなんてものが出てきて、家の中まで他人の目が入るようになってしまった。

こうなってしまったらどこで屁をこいて、腹を掻けばいいのか。

 

時間で住まい方を分ければいいじゃないかというかもしれないが、「いつ呼ばれるかもわからない、いつでも呼ばれるかもしれない」という状況で真に油断できる空間って生まれるのだろうか。

 

あと密かに怒っているのが、「顧客データ」というものに対してだ。僕たちの生活が簡単な数字に還元されてしまっている。

何かを購買するということって、必ずしも確実な目的があってのことじゃない。

別に購買に限ったことじゃない。

 

人の行動がデータに還元されてしまう今の時代において、「目的もなくする行動」の価値はもっともっと上がっていくと思う。経済的な価値ではなく。主体的な、満足度的な価値として。

 

あと、これは余談だけど、シェアの時代になったからこそ、個々人が本当に良いなと思うもの、好きなものは秘密にするようになると思うのです。

じゃないと面白くない。少なくとも僕はそうです。つまらない人間と言われようとも、本当に良いなと思ったもの、好きなものは好きな人たちにしか伝えません。めんどくさい人間だな。

 

また酔った勢いでとりとめもない文章を書いてしまった。

写真撮ったらまた上げますね。