雑記17 旅の記録

盆を使って旅に出た。

縁遠かった山陰に焦点を当て、神戸からレンタカーを借りて山陽に寄り道しながら一周してきた。2泊3日の予定が、新幹線の大混乱で結果的に4泊5日の長い旅路となってしまった。

 

砂丘

思ったよりも広かったが、広すぎるというわけではない、不思議なスケールだった。砂丘の上は気温が40℃にもなる灼熱で、僕も含め訪れた人々はみなぜいぜいしていた。

砂地に足を取られ、余計に体力を消費する。砂漠には絶対に住めないなと思った。ラクダに乗りたいとも。

海沿いに丘が連なっているのだけれど汗だくになりながら頂に登り切ると存外涼しい。日本海から冷たい風が吹いてきていた。今まで自分が登ってきた道を振り返ると、みんなてんでばらばらに歩を進めていた。グループもカップルも。なるほどここまで厳しい条件下だと、人は自分のペースを崩したくなくなるのだなと思った。遠くで子供が転んでいるのが見えた。

 

修験道

海から離れ山間を車で進むと三徳山という山がある。そこの三仏寺が有名な投入堂を持つ寺院である。足を滑らせると命を落としかねない険しい山道を行った先にあるのだが、まあ、これはすごいなぁと言うしかないものだった。

どう作ったのか、皆目検討がつかない。これはもはや建築ではないなと思った。建築を超えてしまった、オブジェというか、像というか……

かつては修験者たちが堂内で修行をしたのだろうが、部外者からするとただただありがたや〜ありがたや〜と拝むような存在になっていた。

投入堂をどのように自分の中で消化すればいいんだろうと考えながらの帰り道は、往路よりもヒヤヒヤだった。とおりゃんせを思い出した。

 

■プロポーションの美

出雲大社に初めて訪れた。出雲に行くならサンライズ、と思っていたのだが、結局運転してきてしまった。なくならないうちに夜行列車には乗っておきたい。やらなくちゃいけないことが多すぎる。そして菊竹さんの庁の舎を見られなかったことを悔いている。やらなかったことも多すぎる。

伊勢と出雲、どちらに自分は惹かれるのだろうとワクワクしていたが、予想外に出雲に軍配が上がった。

伊勢神宮を初めて目撃した時、ああ、これは真に神の社だなあ、そう感じさせるなあと感動したのを覚えている。なんというか神秘、アニミズムなスピリチュアルさというか、山と共に建つ美しさというか。

翻って出雲大社は人工的だった。境内は開けているし、言ってしまえばよくある大きめの神社という風情がある。

こう書くとなんだ、伊勢神宮の方が良いと思ってるじゃないかと言われそうだが、建築物としてみると、出雲大社の方が好みであった。2間×2間の正方形平面、中央に心柱が建ち、妻入り。中央に柱が来るので出入りは芯を避けるほかなく、偏心している。ひたすらに格好が良かった。プロポーションが美しかった。建ち方もどっさりとしつつ、優雅さを感じた。なにより僕の大好きな登呂遺跡の高床式倉庫を彷彿とさせる出立だったのが大きい。(当然だが)

と、ここまで書いておきながら伊勢神宮の棟持柱という素晴らしい存在を思い出し、両者はやはり甲乙つけがたいなと思い直している。

 

島根県立美術館

菊竹さんは大好きなのだけど、東光園や江戸東京博物館の勇気づけられる大迫力空間のイメージが強く、島根県立美術館はいい意味で裏切られた。宍道湖のほとりを緩やかに切り取るブーメラン型のそれは、空港を思わせる。ホワイエは空港のラウンジ(入ったことないけど)のようで、伸びやかな市民の憩いの空間になっていた。マジックアワーには宍道湖を照らした夕陽が天井を焼き、本当に内外の区別がなくなる。優しく、美しい菊竹さんの傑作。

 

■食

食べるもの、飲むもの、お酒、すべて美味しかった。おいしかったはずなのに、なんでお酒かを忘れてしまう。また飲むときに新鮮な気持ちで臨めるからよしとする。

 

※この度のクライマックスにああ、これはもう本当に傑作だなあと思えた建物があるのだけど、もう少し咀嚼してから言葉にしたい。f:id:tjhi:20230822015013j:image