雑記7

※7月末に書こうとして下書きに放置してあった文章に加筆しています

 

なんやらかんやら多少の忙しさがひと段落ついたので、行ったことのない街へ行こうと大井町〜南大井〜勝島、大井競馬場あたりをふらふらとカメラ片手に歩き回った。

 

日は照ってはいなかったが、夏の海沿いの空気特有の温度そのものがまとわりつくような重い空気だった。

 

大井町駅前は選挙ということもあるのか街に出ている人たちがやけに多く感じたが立会川を辿り海の方へ歩くほどに人はまばらになり、その重苦しい空気ばかりが空間を埋め尽くすようだった。(すぐにヴォイドだヴォイドだと口走りあたかもそこには何も物質がないかのように論を進めることが多いが、夏になると空気がその気積を満たしているのだということに気づかされる)

 

人はあまり見かけないが湿気が媒体となって人と人の距離感を近づけているような、一体感のある街並みを歩いているとあたかも自分もその街の住民になったかのような錯覚を覚えた。道端にはお揃いの鉢植え(プランター?)がつらなりさらにその一体感を強めているようであった。

 

とにかく海まで歩こうと、埠頭の先を目指しててくてくと歩を進めようとしていたとき、とある家の前で中年の男性(町歩きのテレビ番組ではリポーターが「お父さん」と呼ぶような)が壊れかけた鉢植えを修理しているのが目に入った。

 

その時点で少し感動していたのだけど話しかける勇気はなく、彼を横目にまずは埠頭の先まで歩いたのだった。

 

海を目の前にして何枚かの写真を撮り、満足して踵を返すと「お父さん」はまだ鉢植えを直していた。

そこでとうとう勇気を振り絞り、声をかけた。

 

「精が出ますね。鉢植え、直しているんですか?(見ればわかる)」

 

「そうです。なんだか具合が悪くてね、ここなんて割れちゃってさ。」

 

「この鉢植え、みんなお揃いですよね。街のものなんですか?」

 

「うん、そうみたい。僕がここに越してくる前からあって、前住んでた人がほっぽらかしてたのか、こんなになっちゃってね。」

 

「ってことは、あなたのものじゃないけど、家の前にあるから直しているってことですか?」

 

「そうそう、なんかね。直した方がいいかな〜って」

 

「それは素晴らしいことです。なんかこっちまで嬉しくなります。」

 

「なんでよ(笑)」

 

みたいな会話だったと思う。自分の会話の下手さに辟易とはするが、それよりも「お父さん」の行動に僕はかなりの感動を覚えた。

 

整理すると、「誰のものでもない、すなわち所有者が1人に確定しない『街の』壊れた鉢植えを、自分の家の前にあったからというただそれだけの理由で直していた」ということになる。しかも壊したのは前の住人らしい。

 

文字に起こせばなんてことの無いことだけど、僕はそれを目の当たりにして「今日ここまで来てよかった」と思うほど感動し、今でも新鮮に感じている。

 

なにが言いたいのかと言うと、街の新参者が街の一員になる儀式を目撃できた、と言うことだ。

 

こんな大仰に言うこともないかもしれないが、「お父さん」は直した鉢植えを通じて隣近所との繋がりができる。なぜならその鉢植えはその街の中ですべてお揃いで各々の家の前に鎮座しているからだ。

 

コミュニティの重要さが叫ばれて久しいけれど、本来、というか現代の近所の繋がりはそれくらいが一番良いのかもしれない。わざわざ餅つき大会やら隣のお父さんがサンタに扮して簡素なプレゼントを配りにくるイベントよりも、家の前の鉢植えを大事にする、という行為の方が僕にとっては距離感がちょうどよくしっくりきた。仮に僕が「お父さん」の隣に住んでいたら鉢植えを直してたんだから、悪い人ではないだろうなと思うだろう。

 

しかもそれが道というもっとも公共的な空間で起こったことであるというのが良い。お揃いの鉢植え、そんな小さなものがあるだけで、そこは「家の前」という私的な空間でもあり、同時に「道」という全ての人が往来できる最強の公共空間でもある。(まあこれは性善説にのっとった考えであるが)

 

鉢植えという無視すらできるものが持つ絶大なる魔力を痛感した僕の頭の中には、築地や月島、浅草の木密の路地でおばあちゃんたちが家の前にこれでもかとプランターを並べ庭園ごっこ(言い方が悪い)をしている景色が浮かんだ。

 

自分の庭を持ちたい、植物を育てたいという欲望がこの小さな国では道に侵食し、それが近所の人々を繋げ(彼女らおばあちゃんたちは植物を通じて会話の契機を伺っている)、それでも道だからと人の歩けるスペースを空る良心が街の景色を作っている。街に、地に足をつけて暮らすというのはそういうことなのかもしれない。

大きいということ

単純に面白かった。

 

久しぶりにカメラ片手に散歩をしようと思ったのだけれど、いざどこに行くかとなるといつも迷う。

偶々、北千住の方で用事があったので帰り道に浅草に立ち寄って散歩しようということになった。

 

ふらふらと上野駅の入谷改札を出て、東上野のあたりを抜けて浅草まで汗ばみながら歩いたのだけど、道中謎の機械が電信柱の根本に落ちていたりどこにつながるかわからぬ階段があったりと、わくわくさせてくれるものが落ちていた。

 

浅草に着くと、外国人旅行客、(僕も含めた)日本人の訪問者、地元の商店の人たち、人力車の兄ちゃん……まあ多種多様の人たちが渾然一体となって小さいスケールに詰め込まれていて、これまた面白い。

 

かつてよく行ったバー(あそこはバーなのか?)に行ってみたら隣のおじちゃんが話しかけてくれて、話せば話すほどそのおじちゃんの正体が不明になっていくのも楽しかったが、それはまた別の話。

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そんなパワーに溢れた浅草で、わけのわからないものをパシャパシャと撮っていたのだけど、路地を撮ろうとするといつもスカイツリーが画角に入ることに気づいた。


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それが面白くて、路地に差し掛かるたびに画角に入るスカイツリーを撮っていたのだけれど、撮っているうちに少しスカイツリーが不憫に思えた。


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パリにエッフェル塔が出来た時、住人の反発が強く、「パリのどこからでもエッフェル塔なんぞが見えてしまうのはムカつくんだが!」とか言いつつも、「パリの中でエッフェル塔を見ずに済むのはエッフェル塔のてっぺんだけだ」と結局登っていた天の邪鬼なパリジャンたちの話を思い出した。今ではすっかり昔からあったかのように名所になって愛されているけれど。

 

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まあ話はまったく違うから浅草の人たちがスカイツリーをどう思っているかは知らない。でも僕にとってはスカイツリーの浅草における見え方はなかなか良いと思った。存在感はあるけれど、圧迫感はない。


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そして、「見る・見られる」の関係としてはちょうどいい距離感だなとも思った。


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ヒッチコックの『裏窓』は向かい合うアパート間で起こる事件を描いたもので、窓の向こうの部屋で誰かもわからぬ他人の行動を「目撃」できる距離感だから物語になった。 

 

今回のスカイツリー/浅草の街となると人の姿は見えない。街からは展望室の窓サッシの格子、スカイツリーからはせいぜい3階建の建物とその間を縫う小道が見えるだけだ。でもスカイツリーくらいの巨大建造物となるとそれくらいがちょうどいい気がした。


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僕は遠くに見える展望室を眺めながら(たしかに「見る」より「眺める」と言った方が最適かもしれない)、同時に「登りたい!」とせがむ子どもを「値段が高いからまた今度ね」とたしなめる母親と、それを尻目に思い出になるからとその高い入場料を払って登るカップルを目撃する。

 

それは実際にそこで起こっていることではなく、僕の記憶の中だったり、経験の中から引っ張り出された風景であるけど、たしかにそこで起きた/起きている出来事でもあるのだ。


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展望室にいる人たちは眼下に街並みを眺めながら「この中には下手の横好きだけどカメラが好きで、久しぶりに浅草で撮っているもの好きな男もいるんだろうな」と思っているかもしれない。

 

大きいということは、距離をとれるということであり、距離をとれるということはそこに即時的な「見る」「感じる」という関係よりも外側の「想像する」いう関係性が発生しうる。

 

スカイツリーがなかったときの浅草の空を想像して、その可能性が生活の中に挿入された今の方が豊かに思えるのは、訪問者としてしか浅草に居ることのできない自分のエゴのようなものだけど、たしかに良いなと思えた。そして、大きいもの、シンボルというものはそれくらいの役割で十分なのじゃないかとも。

 

別にその街に誇りを持つためのシンボルでも、ランドマークとしてのシンボルでもなく、シンボルとして大事なのは生活の中に上記のような妄想とも言えるかもしれない想像の契機を常に潜ませることができる、ということなんじゃないかなんて思ったのだ。