こんな状況になって、最近強く思うのはやっぱり人は変わり続ける存在なのだなということだ。
そんな至極当たり前のこといつまで言い続けるのだろう自分はとも思うが。
昔の雑記で、「冬は自分の輪郭がはっきりするから好きだ」なんて言ってましたが、人間含めて生きている生物というものは輪郭を持たないのだろうなとばかり思う。
好きな漫画家にpanpanyaという人がいるが、その人の漫画は動くもの(すなわち生きているもの)は非常に簡略化された、デフォルメされた表現なのに対して、ひとりでに動かないもの、すなわち石とか、看板とかそれこそ建物とか、、、はものすごく詳細に書き込まれた表現なのだ。
それだけでも魅力的で、動くものというのはどうしたって輪郭がさだまらないものなんだなというのが端的にわかって清々しい。
画面の向こうの人と話すのは非常に疲れる。
オンラインのおかげで物理的な距離をジャンプしてその人に会える、と言ったってそれはただ自分の部屋でジャンプして塀の向こうのあの人と一瞬目があってまた自分の部屋に着地するだけの虚しい連続跳びみたいなものだ。そりゃ疲れる。
会って話せば五分で終わる話が延々と繰り返される。
他愛もない話がしたい、街で偶然人やものに出会いたい。ブレている輪郭とその回りで振幅している空間を見たい。
結局、画面の中の人は画面の中の人でしかなかった。
友達と話ができるのはうれしいけど。
みんなもそうおもっていて、すべてがまた良くなったら「集まること」や「会うこと」に時間を費やすようになれたらなとおもう。
今のこのままでいいと思うひとが多かったら、僕は悲しい。
とりとめのない文章だな。