思考実験

はてなからメールが来て、このブログを始めてから半年経ったと知った。

知らず知らずのうちにそんなに時間が流れたのか、光陰矢の如しだ。

ひたすら撮った写真を載せるだけになっているけれど、もともとは忘れっぽい自分のために思ったことを残そうとこのブログを始めたので目的がすり替わっている。

でも、これからフィルムカメラを始めたいなと思った人が、なんの因果かここにやってきて、カメラの写りの違いや、こんな風に撮れるんだというのを感じてくれたら楽しいので変わらず現像したら載せるつもりだ。

フジカラーが値上げを決めたらしく、ショックを受けている。フィルムカメラ愛好家はフィルムの生産が終わってしまうともはやほぼなにもできない。フィルムカメラ好きの人口が増えてくれればそれだけ楽しい時間が伸びる可能性が高くなるので嬉しい。ということでみんなフィルムカメラやってみましょう。現像代等ランニングコストはかかるけど、カメラ本体はちゃんと探せば安く手に入りますよ。

 

ここから先は備忘録になるので文体が変わります。

 

山手線に乗ってふと思った。「地面低くね?」

電車は傾斜に弱いので、出来る限り一定の高さを保って走る。そのため、地形によって地面(グラウンドレベル)からの高さは場所によってまちまちになる。

丸ノ内線は四谷駅で地下から突然地上に顔を出すし、銀座線なんて渋谷駅で高架を走っている。なんと!地名も両例とも谷が付く。

なにが言いたいのかというと、普段なにも気にせず(地上で)生活している(と錯覚している)自分の目線の高さと、実際の地面に差があるなと車内から道を歩く人を眺めて思ったのだ。

目黒駅は山手線に乗るとき、階段を降りる。しかし、五反田駅で降りるとなんとそこは高架になっているのだ。一度降りて地面より低い位置から電車に乗ったはずなのに、電車から降りると地面より高い場所にいる。こんなのワープじゃん。

まあ、昔から都市に棲む人は地形や土地、地面というものに対する感度が落ちるなんて言われていたけど、そんな古典的な気づきがふと降りてきたというわけです。

思えば、人工的な構造物の中でウロウロしている時に、現在地の高さなんてあまり気にしない。あー、階段があるな、登るのやだなくらいしか思わないことが多い。

 

ここで思考実験というか、想像してみようと思う。

 

ある男がいるとする。彼は都心のそれなりにいい企業に勤め、妻と子2人を養っている。まあ家族の人数なんてどうでもいい。防犯を考えて都内のマンションの3階に住んでいる。悩みは上階や隣の住人の生活騒音。そのせいもあるのか家族は冷え切っていて、忙しい仕事から深夜帰ってきても迎えるものはおらず、用意された余り物をチンして食べ、寝て、朝早く仕事へ行くだけの毎日、そんな男を仮定する。(多少設定が古臭い気はしなくもないが、まだ絶滅してはいないだろう)

彼の勤めるオフィスは都心の高層ビルの10階にあるとしよう。8時に出勤し、22時過ぎまで働く仕事人間の彼は、24時間のうち、ほぼ14時間、睡眠時間を考えれば1日の8割弱はそこにいることになる。

となると、彼にとって最もよくいる場所は地上から30mの高さだ。すなわち、彼にとっての水平線は地上30mに設定されうる。(ここはちょっと無理があるかも)

窓の外を見れば、頭上には天空にオフィスを構えるより良い(とされる)会社が見える。おそらくそこはもっとここより日当たりがいいのだろう、と彼は思う。家庭に居場所のない彼にとって、息ができるのはこの地上30mにいる時だけだ。下階に、3階なんて高さに降りてしまうと息が続かない、海底だから。

彼は海底で寝泊まりして、地上まで息継ぎのために浮上してくる、そんな毎日。

 

突飛な妄想だけれど、そんなことを考えた。

都内にはまた高層ビルがまた増えるという。高層マンションも増え続けるそうだ。

海底暮らしの僕からすると、縁がないことなので勝手にしてという話なのだけど、もし、そんな生活になったとしたら耐えられないなと思う。

これは簡単に言えばヒエラルキーの物理的な可視化っぽい。より良い生活というものは、いい会社(大抵高層ビルの上階にある)に勤めて、いい家(不思議なことに高層マンションの上階の方が家賃が高い)に住むということになっているからだ。すなわち、そんな環境にいる人は、常に外を見た時自らの地位を否が応でも思い知る。なかなかつらい生活だろうなと思う。頑張ってほしい。ただ、海の底も楽しいよ、とだけ言っておく。