散文

あけましておめでとうございます

2020年になりました

僕も身分が変わるということで、青臭い学生の考えたことは学生のうちに供養したく思い、2017年に友達のバンドのライブで寄稿した文章をここに載せようと思います

はずかしいですが……

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

散文

 

タイトルをつけるということが苦手なのでなまえは散文とさせてもらいます。事実、散文であるし。

 

 百年後のことを考えてみる

世界はどうなっているだろう。電信柱はまだ立っているだろうか。冬はちゃんと寒いだろうか。そもそも、人間の時代は続いているだろうか。

 

 百年前のことを考えてみる

一九一七年、藤村が小説を書いていた。人間は空を飛べるようになって十四年しか経っていなかった。

 

 それから

人間は宇宙へ行き、離れていても繋がっている(錯覚に陥る)ようになった。

 

 果たして

腹をすかせた子ども 夜に浮かぶ橙

抜ける冬の青 眠る前のつよい重力

あいしてると嘯く若いおとこ

知りつつも真に受けるおんな

そっぽを向いた歯ブラシ 落ちている辞書

夜風で起きてしまう部屋

誰もが誰にもなれない街

生活を失くした漂流者たち

皆が皆に期待して

皆が皆に失望している

 

「十秒後の自分何を考えているか、想像できる?」

 

 

 水辺に集まる

ひとはなぜか水辺が好きだ。あまり変わらないからだろうか。水辺の環境や建物が変わっても、そこに川や湖があることは変わらない。変わらないものを見ると安心する。

 

 たしか

ベッドの皺 シャワーの水圧

風呂の温度、四一度

左の箪笥二段目の引き出し はみ出た靴下

おととい整理した本棚 乱雑なペン立て

天井の模様 板張りの目地

 

「今日の自分は本物」

 

 

 眺める

今日の自分は本当に昨日の自分と同じなのか、ちゃんと自分は連続しているのか、そんな疑問をひとはおそらく誰しもが気づかずに抱いている。身の回りのものやひとが、変わらないことを望んでいる。

 

 確認作業

ある日、毎日通る道に沿って建っていたビルがなくなる。そのビルについての記憶を掘り起こす。そして自分が続いていることを認め、安堵する。同時に自らの連続性の証言者がひとりいなくなったさびしさも覚える。そのふたつの感情の融合が懐かしさだと思う。

 

「未来にもなつかしさはあるのかな」

「あるよきっと」

 

 

 もどかしい

何色かわからない夕陽 自分の心持

歌 小説 映画 詩

なぜあの点だけずれているのだろう

 

 欠片のあつまり

ロシアでは狼と犬の区別がないらしい、どちらも同じ単語だそうだ。日本では蛾と蝶を区別するけれど、どこかの国では同じもの扱いなのだとも聞く。

生まれたとき、人は世界とひとつだった。比喩ではなく事実です。「ママ」という言葉を覚え、世界がママとママ以外に分かれた。

次にパパを覚え、ママとパパとそれ以外に分かれた。言葉は、世界を僕たちが理解できる欠片に切り分けてくれる。ありがたい存在です。言葉を上手に使いこなす人が素敵に見えてしまうのもわかります。

人は言葉を使ってもいるし、言葉に縛られてもいる。僕の気持ちは君には絶対に伝わらない。それぞれの言葉。

 

もし百年ののち、他人の頭の中が映像として見えるようになったり、他人と気持ちを共有できるようになったとしても、たぶん、人は言葉を捨てはしないだろう。それだけは十秒後の自分の気持ちや思考さえわからなくても言い切れる。

不完全な人間は不完全な言葉を使うしかない。みかんのびがある。

一番劣化しない記録媒体は石板らしい。今夜出会う言葉たちはきっとみんな美しいだろうから石板に刻もう。おもいけど。